2010年02月24日

10.01.17 僕にとっての震災とは?「生きる力」

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震災から15年を迎える1月17日。
東遊園地で5時46分を迎えました。

東遊園地で1月17日を過ごすのは初めての出来事。
現地に来るまでは、どんな場所なのかどんな雰囲気なのか全く想像できませんでした。来てみて感じたことは、思っていたよりも和やかな雰囲気で、みんさん温かく迎えてくださいました。
来てからも作業におわれ、気がついたら5時。
それまでは、なごやかな雰囲気で過ごしていた交流テント内にも、たくさんの人々が出入りするようになりました。思わず外に出てみると大勢の人でいっぱいに。

言葉にできないような不思議な空気。

5時46分。黙祷…

近くで泣いている人が。。。




震災について考えるようになったきっかけは、2つあります。
1つめは、僕が目指す“デザイン”と“震災”には深い繋がりがあると気づいたから。
神戸芸術工科大学でデザインを学び、学生時代は街づくりやモノづくり関わってきました。いろんなワークショップに参加していくなかで、ワークショップに興味を持つようになりました。ワークショップには、いろんな意味がありますが、みんなで一緒になって街やモノについて考えたり製作します。そうすることで参加した人が街やモノに愛着を持ちます。なにより一人一人の力が1つになると大きな力になります。しかし、大勢の意見を取り入れればそれで良いというわけではありません。いろんな意見があると逆にマイナスの効果になることもあります。なのでカタチだけではく、いろんな人が参加するしくみをデザインしたいと考えていました。そしてたまたま震災について考えるプロジェクトに参加しました。その時に気づきました。自分が感じていたワークショップの可能性や人と人とのつながりの大切さは、震災を体験した多くの人の教訓であり、その神戸でデザインを学んだからだと。


2つめは、母が亡くなったことです。母は僕が20歳の時に病気で亡くなりました。肝臓がんでした。震災とは全く関係ないのですが、当時、母は肝臓がんになり病院の入退院を繰り返していました。病院から退院し少しずつ元気になっていく母をみて、当時は学校の課題に必死になっていました。学校に残って徹夜で作業をしていると母から電話がありました。そのとき母はボケていました…
突然のことで何を冗談いってるんやろうと思い、忙しいから切るでといって電話をきりました。母と会話したのはその電話が最後でした。
後から聞いたのですが、買い物中にこけて頭を打ったそうです。そして寝たきりの状態がつづき、ついに帰らぬ人になりました。
ぼくにとっては一瞬のできごとで、なぜか遺族の方のお話を聞いていると重ねてしまいます。ぼくの場合は、いろいろとできたことがあっただけに非常にくやしいです。母に親孝行を何1つできなかったことも本当に後悔しています。
でも、どんだけ悔やんでも後悔してもどうすることもできません。
だから今を一生懸命生きるしかないんやと。


震災は体験していないのでわからないけれど、震災と向き合うことで、命の大切さや今を一生懸命生きるということ。感謝の気持ちを忘れないということ。そして人と人との繋がりが大切やということを自分自身に問うきっかけになっています。


震災の体験は悪いことだけではないと思います。人と人との繋がりを大切にする神戸の人は、本当にステキです。しかし、これから生まれてくる子供たちは震災を全くしりません。だからこそ一緒になって震災について考えたい。
また、震災から生まれた教訓をこれからに活かしていきたいと考えています。
そうすることが、神戸の街の未来を。そして僕らの未来をつくっていくことだと思うから。

全てを失った人が立ち上がるとき、まさに生きる力が問われたと思います。また、これから街を創っていくのも一人一人の生きる力やと思っています。
一人一人の生きる力を一つにしていくしくみをデザインしたい。そしてみんなと一緒にさまざまな問題を解決していきたい。


西川亮
posted by りょう at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | シンサイミライノハナ